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森とともに生きて まとめ

【アーカイブ】

奈良県の森について理解を深めたいと創刊号から20号まで連載された「森とともに生きて」シリーズをまとめました。古代から今までに至るわたしたちと森のかかわりについて様々は著者が寄稿してくださいました。奈良県もそうですが、日本ではどこの県でも森が多くの面積を占めています。森を知ることは、地域を知り、愛することにつながるのではないでしょうか。

PDFでご覧いただけます。

〈vol.1(2010 spring)より〉
森とともに生きて 吉野編

縄文・弥生の遺跡から

成瀬匡章(森と水の源流館学芸員)
※著者の肩書きは発行当時のものです

大台ケ原に源を発止、紀伊水道へと注ぐ吉野川・紀の川。
紀伊半島の中央から東西に流れる136kmの大河の流域には
縄文時代・弥生時代の遺跡が多数発見されています。
宮の平(みやのたいら)遺跡、切目石錘(きりめせきすい)などから、
現代にみる縄文時代からの繋がりを見てみましょう。

※著者の肩書きは発行当時のものです

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〈vol.2(2010 summer)より〉
森とともに生きて 

縄文・弥生の遺跡から 雑穀の栽培

川崎志乃(奈良県橿原考古学研究所 所員)
※著者の肩書きは発行当時のものです

弥生時代といえば、本格的に水田稲作農耕が開始された時期です。
最近、実際に奈良県内でも御所市周辺で弥生時代前期(2400年前ごろ)の
水田が見つかっており、ようやく奈良県内でも水田稲作農耕の様子が具体的に
明らかになりつつあります。しかし、弥生時代になると
急にお米ばかり食べるようになったかというと、
そう簡単には言えそうもありません。
当時の人々は何を作ってたべていたのでしょう?

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〈vol.3(2010 autumn)より〉
森とともに生きて

ヤマにやどる神と仏

松田度(わたる) 大淀町教育委員会
※著者の肩書きは発行当時のものです

世にいう邪馬台国の時代
大和盆地には山(ヤマ)のように
大きな墓(墳丘墓)が誕生しました。
ヤマとは、世を去った王・首長たちの霊がカミとなり
やどる場所だったのです。

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〈vol.4(2010 winter)の掲載はお休みしました〉


〈vol.5(2011 spring)より〉
森とともに生きて 

平城宮の発掘調査から
初めての都市生活

森下惠介(奈良市埋蔵文化財調査センター所長)
※著者の肩書きは発行当時のものです

わたしたち日本人は、奈良に都があった奈良時代に初めて
本格的な都市生活を経験しました。
法律、行政制度から俸給生活、物価高、食事作法にいたるまで
奈良時代に始まったことは実に多く、
その多くは現代社会にもつながっています。
咲く花のにおうが如くと賛美された天平文化だけに目を奪われがちな奈良時代ですが
平城宮という古代都市の出現は人と自然との関わりにも
大きな影響を与えており、その影響は今も続いています。

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〈vol.6(2011 summer)より〉
森とともに生きて

信仰の山

森下惠介(奈良市埋蔵文化財調査センター所長)
※著者の肩書きは発行当時のものです

国土の大半を山地が占める日本列島において、
山に対する自然崇拝と仏教は融合し修験道を生みだしました。
神霊の鎮まる山は本来、人間がみだりに立ち入る世界ではなく、
限られた浄行者のみが近づける神仏の世界でした。
科学技術の発展によって、ともすれば人間が驕(おご)りに陥りやすい現代こそ、
信仰の山と自然を畏れ敬う山岳信仰から学ぶべきことは多いと言えます。

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〈vol.7(2011 autumn)より〉
森とともに生きて

森の民の暮らし-1

森下惠介(奈良市埋蔵文化財調査センター所長)
※著者の肩書きは発行当時のものです

約13000年前頃から、地球の気候と環境は大きく変わりました。
氷河期は終了し、徐々に温暖化が進み、この自然環境の変化が
地球上に人類繁栄の時代をもたらすことになりました。
海水面の上昇により、大陸から隔離された日本列島には、
ほぼ現在と同じ自然環境下で温帯森林が広がり、
現在は水田や都市が広がる平野部も2300年ほど前までは
そのほとんどがうっそうごした森林でした。
この列島に広がる森で生活した縄文人にとっては
自然を学ぶことが生きることであり、彼らは日本の自然を最もよく知り、
最大限にその恵みを活用した人々でした。

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〈vol.8(2012 winter)より〉
森とともに生きて

森の民の暮らし-2

森下惠介(奈良市埋蔵文化財調査センター所長)
※著者の肩書きは発行当時のものです

豊かな森林の恵みをうけて暮らした縄文時代も
けっしてユートピアではありませんでした。
東アジアの歴史の動きの中で、稲作農耕、食料生産への道の選択は
その後の日本列島の自然環境を大きく急速に変化させることになりました。

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〈vol.9(2012spring)・vol.10(2012summer)の掲載はお休みしました〉


〈vol.11(2012 autumn)より〉
森とともに生きて

山里、天ヶ瀬の発生と風習

岩本速男(『ふるさと天ヶ瀬』著者)

「天ヶ瀬」とは、吉野郡上北山村を通る国道169号線から
行者環トンネルを通って天川村に通じる国道309号線に入って
しばらくの所にある今は無人となっている集落です。
上北山村在住の著者が、まぼろしの集落について
リアルに語り伝えてくれました。

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〈vol.12(2013 winter)より〉
森とともに生きて

吉野林業の歴史がよくわかるシリーズ-1
室町時代、植林の始まり

谷弥兵衛(林業経済史研究者)(弥は旧漢字です)

室町時代から始まったとされる吉野林業。
山林は惣村のものとされ、吉野材は畿内で優良材として知られていました。
需要と高まりとともに、自然の更新に依存することに限界が。
そこから植林が始まったようです。

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〈vol.13(2013spring)より〉
森とともに生きて 

吉野林業の歴史がよくわかるシリーズ-2
江戸時代 植林の広がりと林業の発展

谷弥兵衛(林業経済史研究者)(弥は旧漢字です)

人口の爆発とともに家屋の建築が踏ました。
植林は吉野川流域へ広がっていきます。
樽丸の生産が始まり、吉野材の評価は高まります。
筏流しによる搬送も行われました。

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〈vol.14(2013summer)より〉
森とともに生きて 

吉野林業の歴史がよくわかるシリーズ-3
明治から昭和の時代 資本主義林業の発展

谷弥兵衛(林業経済史研究者)(弥は旧漢字です)

明治時代の大林業家土倉庄三郎の功績は
森正一郎によって「吉野林業全書」にまとめられました。
山林所有者が立木だけでなく大々的に林地も所有するようになるのは
明治になってからです。

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〈vol.15(2013 autumn)より〉
森とともに生きて 

吉野林業がよくわかるシリーズ-4
戦後から現在 林業が直面する諸問題

谷弥兵衛(林業経済史研究者)(弥は旧漢字です)

戦後の復興のため進められた拡大造林、そして外材の輸入自由化
木材需要の衰退、森林の荒廃・・・
林業は再生を模索する時代になりました。
森の多面的機能が広く知られる今、
林業と山村の再生は、国土の再生とも言えます。

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〈vol.16(2014 winter)の掲載はお休みしました〉


〈vol.17(2014 spring)より〉
森とともに生きて

黒滝村の樽丸について

森本仙介(奈良県教育委員会文化財保存課主査・民族文化財担当)
(※著者の肩書きは発行当時のものです)

近世初期、酒樽の需要の激増とともに
人気を博した吉野の樽丸。それはなぜだったのでしょうか。

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〈vol.18(201 4summer)より〉
森とともに生きて

森の達人、辻谷達男さんに聞く 1 
吉野林業の実際

これまで吉野林業を中心に森と人とのかかわりを見てきましたが
今回からは川上村在住の梨郷か、辻谷達男氏に
山の自然のすばらしさや山仕事について
教えていただきます。

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〈vol.19(2014 autumn)より〉
森とともに生きて

森の達人、辻谷達男さんに聞く 2 
森の施行

資料をひもとく吉野林業ではなく
経験談にもとづく山の仕事をお伝えします。
そして、辻谷さんが今次の世代にたくしたいものとは。

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〈vol.20(2015 winter)より〉
森とともに生きて

森の達人、辻谷達男さんに聞く 3 
生きる力を伝えたい

辻谷さんが主宰してきた「達ちゃんクラブ」「源流塾」
について紹介します。

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